丸みを帯びたような、つややかな香り。口に含むと、まったりとした苦みがゆっくりと溶けていき、その後、余韻のように甘さが訪れる。ごくごくとは飲めない。だからこそ時間をかけて、ひとくち、ひとくちを味わいたくなる。そうしていると、心は自然と小休止していく。

山口市米屋町。商店街から少し小道を入ると見えてくる、青い壁と赤いひさしのセレクトショップ。

その店内の階段を昇った2階に、「原口珈琲」はある。

「うちは深煎りだけど、大丈夫ですか?」

何十年もの時を刻んできたかのような木のテーブルに座って「ブレンド」を注文すると、店主の原口洋子さんから、そう聞き返された。ネルドリップで丁寧に淹れてもらった一杯は、確かに、味わったことのないほどの深煎りだった。最近流行りの、豆そのものの「果実っぽさ」などを前面に出した比較的浅煎りのコーヒーとは、あきらかに違う。

20年間貫く「深煎り」

「20年前にこの味と出会って、ずっと変えていません。あれこれ試してみたけど、やっぱりこれが一番美味しいと思うから。よそでいろいろ飲んでも、早く帰って自分のコーヒーを飲みたくなるんです(笑)」

原口さんは、山口市で生まれ育った。高校卒業後、美容院で働いていたが「田舎が大嫌いだった。何もないように感じ、全然楽しくなかった」。刺激を求めて20歳で東京へ。暮らし始めたアパートの近くに、たまたま自家焙煎の豆売り店があった。

「すごくいい香りで、しかも注文を受けてから、生の豆をその場で炒って提供していたんです。そこに面白さを感じて」

その店にアルバイトで雇ってもらったことが、コーヒーへの道の第一歩となった。そこを皮切りに、3年間ほどいろいろな店で働きながら、どんどんとコーヒーの世界に深入りしていった。ところがあるとき、壁が立ちはだかる。コンピューター制御の大きな焙煎マシンを使う店で、どうしても美味しい豆ができなかったのだ。

【隠れ家的な店舗は、静けさを好むカップルにも人気】

「ほかのバイトの子がやるとすごく美味しくできるのに、私はその機械と肌が合わなかったのか、何度やってもだめで……。もうコーヒーはやめたほうがいいかもと思っていた」

「伝説の名店」の衝撃

深く悩んでいたとき、初めて立ち寄った南青山の喫茶店が、原口さんの人生を変えることになる。深煎りの豆、ネルドリップでの抽出で「伝説の名店」と呼ばれていた「大坊珈琲店」だ。

「手回し焙煎とか、うちわで豆を冷ますとか、それまで見たことのない世界だったので余りに衝撃的で……」

即、バイトを申し込んだものの、名店だけあって原口さんのほかに7人も希望者がいた。枠は1人。面接は5分であっさりと終わったため、「だめだろうな」と諦めていたら、「あなたにします」と連絡がきた。「どうして私が選ばれたのか、いまでもよく分からない……」

そこから7年間、大坊珈琲店で腕を磨き続けた。コーヒーについてはもちろん、その期間に一番学んだことは「人としての在り方」だったという。「マスターはとても無口な人。でも、社会にうまく合わせられず、生きづらさを感じていた私のことをすべて飲み込んでくれた最初の人。言葉にならない大切なことを、たくさん教わった気がする」

フランス人から「焦げてる」と言われても

大坊珈琲店卒業後、培った知識と技術を最初に生かしたのは、フランスだった。

「近所の銭湯で出会った」というフランス人の男性と結婚、男性の故郷へ移住したのだ。日本人はほかに誰もいない、南西部の小さな町・ポーニック。そこのマルシェで原口さんはコーヒースタンドを出店し続けた。

もちろん、コーヒーは、「深煎り」。浅煎りを好むフランス人からは「焦げてる」「なんでこんなものを出すの?」などと面と向かって言われたことも。それでも深煎り一点張りで続けていると、ファンが付いてきた。

「こんなコーヒー飲んだことないと言って、熱狂的に応援してくれる人もいましたね」

その町で6年暮らし、男性と別れて帰国。2014年、地元山口市で「原口珈琲」をオープンさせた。もちろん、豆はすべて大坊珈琲店で身につけた焙煎法で炒っている。

【300度ほどになった前をざるで振るい、チャフ(渋皮)を落とす 原口さん提供】

ノーウエーブの「琥珀の風」

原口さんが目指すのは「生活のなかにあるコーヒー」。気軽にふらっと立ち寄れる喫茶店だ。「日常のなかに当り前にある、ちょっと非日常な空間になればいいなと思っています」

それは豆売りも同じ。日々楽しんでもらうためにと、「ブレンド」の価格は当初から100グラム550円に設定したまま、変えていない。

世の中は空前のコーヒーブーム。豆の産地や品質、抽出法にこだわる「サードウエーブ」と呼ばれるコーヒーカルチャーが広く浸透している。そんな中、「私はノーウエーブ」と原口さんは言う。「流行を否定はしないけど、私はただ、自分が美味しいと思うコーヒーを提供し続けていくだけ。それが焙煎士の仕事だから」

目標は、フラットに、長く続けていくこと。

「たくさんの人に囲まれなくてもいい。ただ、私のコーヒーを美味しいと思っていただける方と、丁寧に付き合い続けていきたい」

帆を撫でる
琥珀の風に
小休止

自宅に戻り、原口さんの名刺を見ると、こんな俳句が記されていた。

ノーウエーブの琥珀の風に吹かれに、また、あの階段を昇ろうと思う。

取材時期:2019年8月
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原口珈琲

住所 山口県山口市米屋町2-35
TEL 090-2808-4466
営業時間 12:00~18:00
定休日 火・水曜
URL https://www.haraguchicoffee.com/