おそらく誰もが持っているだろう、原風景。記憶の深いところにこびりついて離れない風景。それが、私にとって周防大島の夏祭りでした。
寂しく切なく、でもどこかあったかい。この世とあの世の境目にあるような風景で、子ども心にもその美しさと妖しさに魅せられたんだろうと思います。
その祭りがこちらです。(友人が映像におさめてくれました)
なぜ突然こんな話をするかといえば、この原風景があったから、自分は移住を考え、実際に行動に移すことができたと思うからです。
移住の理由〜周防大島と私
東京で生まれ育った私にとって、父の故郷であり、祖父母が暮らす周防大島は、日本でありながら遠い異国のように感じていました。
お盆の帰省は夏の一大イベント。
新幹線と在来線とクルマを乗り継ぎ、およそ半日かけて訪れる島は、東京で見る景色とは対照的に海と空の青と山の緑が眩しい、まさに楽園でした。
島で非日常を過ごしながらたっぷり日焼けして、東京に帰って乾いた皮膚をぺりぺり剥がしながら、ぼーっとする。残された宿題が徐々に日常へと引き戻し、何事もなかったように新学期が始まる。
これが毎年のルーティンだったのです。

対岸が周防大島。本州と約1キロの橋で結ばれている
移住には少し躊躇いましたが、移住地の選定には迷いがありませんでした。島に行けば、何かがある気がする。あったのは、その直感だけでした。
理屈で考えたら、まず移住しません。毎月振り込まれるサラリーを捨て、慣れ親しんだ土地を離れ、未知の世界にダイブするなんてリスクでしかありません。しかも行き先は限界集落。絶対にしない方がいいんです。それでも、しました。
理由はいろいろ。周防大島の祖父が他界したこと、尊敬していた上司が会社からいなくなったことなど、いま考えればあれもこれもと出てきますが、一番のきっかけは3.11東日本大震災でした。
毎日流れるニュース映像を眺めているうちに価値観が変わり、東京で暮らすことの意味を初めて考え、最終的に「あの原風景には何かある」で移住しました。
仕事のこと〜颯爽とつまずいた起業
さて、全くのノープランで仕事を辞め、なんとなく東京を離れた私に、就職という考えは毛頭ありませんでした。「移住=起業」と当然のように思っていたからです。
東京では「編集者」という肩書きで仕事をしていたので、その道を模索し始めたのですが、ここで颯爽とつまずきます。自己紹介で「編集者やってました〜」と伝えても、ポカーンとされるばかり。そんな手前勝手な、都合の良い仕事は存在しなかったのです。
しばらくして、地元の雑誌に連載させてもらったり、ライターとして仕事を始めました。「あの人はどうやら何かを書く人らしい」と認知してもらえるようになり、友人知人から「こんなの見つけたんだけど、どうかな?」「これ、やってみない?」と仕事を紹介されるようになりました。
そんな慣れない仕事に慣れた頃、「編集やらない?」と声をかけられます。その間にも少しずつ兼務するようになってはいましたが、編集だけの依頼はその時が初めて。移住して2年が経った頃でした。
ここでようやく、当初思い描いたスタート地点に立てたわけです。
そこからの仕事もほとんどが紹介。周辺エリアでは需要のない職種なので、同業者がほとんどいません。一方、時代はネット社会なので、全国津々浦々どこでも情報発信を行なっています。その需給のミスマッチが、少ないながらも仕事を呼び込む。そんな図式じゃないかと思います。
家のこと①〜自然に囲まれた豊かな暮らし
家は当初、借家でした。二階建ての一軒家で、庭や畑が1ヘクタール付いていました。高台にあり、窓の外は瀬戸内海を一望できるロケーション。これがなんと家賃4万円。東京にいた頃は1DKで10枚以上の諭吉が飛んで行ってたので、ものすごいお得感♪

窓からの景色
「ああ、幸せだ。なんで今までこうしなかったんだろう」
と、窓の外を眺めながら、コーヒー片手に本を読んでいたのも最初の1ヶ月。
4月に引っ越したので、庭や畑からものすごい勢いで草が伸びてきます。それはもう、なんでこんなに?ってぐらい、生命の躍動がすごいんです。今まで見たことのない虫もうようよ。一度想像を絶する光景に出くわしたんですが、思い出しただけでも身の毛がよだつので、ここでの言及は控えます。
「自然に囲まれた豊かな暮らし」
こう書くとスマートなんですが、自然の豊かさをなめちゃいけません。囲まれたが最後、暮らしが自然に取り込まれていきます。くれぐれも、くれぐれもお気をつけください。
家のこと②〜古民家リノベ大作戦
草や虫と格闘しながら暮らすこと約2年。いろんなタイミングが重なり、子ども時代に「非日常」を過ごした祖父母の古民家に移り住むことになりました。
これから長く住む家なので、当然のようにリノベを決意。子どももまだ小さいし、心地のいい家にしたい。でも、そんなに費用はかけたくない。そこで、わが家が考えたのは「リミテッド・コンフォートゾーン大作戦」です。
というのも、祖父母の家はものすごく大きい。間取りにして6LDK。これを全てリノベしたのでは、お金がいくらあっても足りません。
借家でも実質使っていたのは、寝る部屋(寝室)、食事する部屋(ダイニング)、憩う部屋(リビング)の3つ。これらの部屋を快適にすれば、おのずと心地いい生活がおくれるに違いない。そう考えました。
まず、木造古民家につきものの「気密性&天井の低さ」。この解消を最も過ごす時間が長いだろう「リビング&ダイニング」に施しました。
リフォームをお願いしたのは、移住者仲間の(株)くろき建築工房の黒木淳史さん。まるまる2ヶ月、かかりっきりで作業してくれました。ビフォー&アフターはこちら!
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