日頃は『DJ黄 ex/KOH』として知られている一方、企画者として行政のイベントのプロデュース活動なども行っている 寛治(こう かんじ)さん。その活動の根底には、幼少期から自身がマイノリティであると感じながら育った中で培われたマインドがありました。 

マイノリティとしての苦難に立ち向かった思春期  

「僕は日本人じゃないんですよ。国籍もパスポートも日本人ではないし、先祖を辿っても日本人はいない。中学高校時代は生まれ育った美祢市から宇部市の学校電車通学したのですが、ますます地域の中で浮いてしまって。自分のホームを失ってるっていう感覚が常にあったんです 

そんな黄さんは、高校に上がると劇的な出会いを果たします。他校に通う同高校の先輩の親友初対面時に突然、大和魂を語り始めたのです。自分のアイデンティティは隠さないというスタンスを勇気に変えて生きてきた黄さんにとって、日本人でアイデンティティを語る人は珍しく、輝いて見えたのでした。 

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この日はオンラインで開催される宇部まつりの事前撮影

実は黄さん、オペラやオーケストラもよく流れる家庭で育ちました。ですが、思春期になるとハイカルチャーとされる音楽は馴染まなくなり、代わりに聴くようになったのがHIP HOPや洋楽。
「日本に住みながらも圧倒的にマイノリティで、地域にも話せる相手がいないと感じていた自分がHIP HOPにインスパイアされた。当時からただの音楽ということではなく、ムーブメントとしてHIP HOPを捉えていたんです。だから、次第に自分の人生の中でムーブメントを起こしていくんだと考えるようになって…… 

そんな時に大和魂を語り、物事の筋道を大事にする先輩出会い、その先輩もHIP HOPを好きだったことが、黄さんをさらなるアイデンティティ模索の旅路へと誘っていったのでした。  

日本で一番尖っている街で挑戦を続けた日々 

高校卒業後、黄さんは上京することに。ネットの掲示板に「上京しました。仲間がひとりもいません」と書き込むと、初見のメンバーが複数名集まり、パーティーを始めることになりました。その活動を皮切りに、様々な人との繋がりを生み出していくことになったのでした。

「東京に出て、自分で意思表示をしていったら、ちゃんと返ってくるものがあった。動いたら結果につながっていったんです。メジャーデビューしている人たちと一緒に動いたり、NHKに一年間タレント業として出演をしたり。有名なクラブのブッキングマネージャーなんかもやっていました。また、世界一周の客船に外注のPA(音響機器を用いて音声・音楽を届けるオペレーター)兼企画者として乗り込み、地球を数周しました。山口県に帰ってくるというのはビジョンの一つにあったから、できる限りやったという感じです。単なるDJではなく、HIP HOPアクティビストでありたいと思っていました 

当時は日本のクラブの最盛期ともいえる時代。日本で一番尖っている街で経験値を溜めて帰ってきたときに街に貢献できるか。根底にはそんな思いがありました。 

踊り

『長州蛮子隊』の皆さんによるよさこいを撮影。一番魅力的に映るよう、細かく調節を行う

その後、26歳の頃に山口県に帰ることを決めた黄さん。県外で実績を積んで帰ってきたものの、今ほどクラブカルチャーは拓けておらず、故郷とはいえまたもや異物扱いとなり、簡単には受け入れてもらえなかったのです。ですが、その後も屈することなく活動を続け、下関から岩国までDJやオーガナイズをしたことのないエリアはないというほどになりました。 

「この土地、この国のために貢献したい」という強い思い  

現在DJ兼オーガナイザーとして幅広く活動を広げる黄さんは一見、掴みにくい存在でもあります。その真髄は何なのでしょうか。

「高校時代、ラグビーの国体選手になったんですが、目指していたのは国体選手やラグビーの選手ではなく、ただ純粋に国民って呼ばれたいなって。自分のアイデンティティが日本に押しつぶされたくないって気持ちが強くあった分、反動でこの国で死ぬならこの国のために貢献したいという気持ちの方が強くなったように思います。そこが満たされるなら、はもう音楽という表現法だけにこだわらなくてもいいんです。HIP HOPだと言われなくたっていい

大事なのは、音楽をどう扱うかということ。黄さんは自分が音楽や企画に関わることよりも、関わることで山口県の未来を明るくすることにベクトルを向けているのです。 

撮影

子どもたちともすぐに打ち解け、良い表情で撮影終了 

「ここで生きていくと決めたから、この街に一番フィットするものを作りたい。住んでいないとわからないレベルのものもあると思うし、自分がしたことに対して最後まで見届けることが重要だなと。自分は身を粉にして挑むという覚悟があるんで」  

初のオンライン開催・宇部まつりのディレクターに 

過去には、『宇部未来会議が指揮する宇部まつり前夜祭にて三年間、実行委員長をしたことも。ルネッサ長門サンクス祭り/AMRの音楽総合プロデュースなども経験しながら、今年は中学高校時代を生きた宇部市を舞台に、第69回宇部まつりを一足先に満喫中だと言います。宇部観光コンベンション協会、PELICAN Traxとヒップコーポレーション、今企画に関わる全ての方々から、盛りだくさんの刺激をいただいているとのこと。 

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大きな組織に仕えることで自分のキャパシティが自ずと上がる。好きな仕事や目標にたどり着くまでのほしい経験値を田舎で得ようと思ったら、行政の企画はとてもありがたいことだと言います。 

「コロナ禍が教えてくれたのは、実はみなさんが宇部まつりを楽しみにしてきたんだということ。宇部市の人だけが楽しいのではなく、宇部市を利用している人たちみんなに宇部市いいよねって言われるといいなと思います」 

それはマイノリティとして見えない壁を感じながら生きてきた黄さんだからこその視点。そういったマインドこそが山口県をポジティブにより良い方向へ導く、大きなムーブメントの起点となることでしょう。 

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 寛治さん 

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執筆時期:2020年10月
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