夫婦

丸みを帯びた、一対の夫婦人形。山口県山口市の伝統工芸品、大内人形です。通常は木製ですが、こちらは金属製。しかも、ひっくり返すと酒器に変わります。手掛けたのは、この道75年の大内人形師・小笠原貞峰さん(山口市)、芦屋釜(福岡芦屋町)の鋳物師・八木(やつき)孝弘さん。室町時代に栄華を極めた大内文化の縁から生まれた、たな逸品お二人に、作品に込めた熱い思いを語り尽くしていただきました。 

二人

―とても雅びな酒器ですね。  

八木
丸みを帯びた大内人形をイメージしながら作りました。小笠原さんのおかげで素晴しいものが完成し、感激しています。しかも錫(すず)はお酒の雑味を除くと言われているので、美味しく味わっていただけるはずです。 

小笠原
大内人形を75年間描いてきましたが、木以外のものに塗ったのは今回が初めてです。 

―いままでに酒器を作られたことはありますか? 

小笠原
40年ほど前に、大内人形を描いた木の盃を発表しました。すごく好評で、注文の電話が鳴り止まなかったですね。 

人

小笠原貞峰さん

八木
酒器は新商品として開発していましたが、こうした絵付けをしただいたことはありせん。  

この作品の場合は、最初から「ふたつでひとつ」にしたかったんですね。なぜなら、京から迎えた妻を慰めるために美しい人形で屋敷を飾ったという、大内人形由来となった物語が素敵なので 

大内氏の縁を形に 

―そもそも、このたびの合作はどういうきっかけで始まったのでしょう? 

八木
以前から、大内人形の職人さんとコラボをしてみたいと思っていたんです。ほかのものとコラボしたいと考えたことはありませんが、大内人形の方とはさせていただきたいとずっと願い続けていました。 

人

八木孝弘さん

―それはどうしてですか? 

八木
あまり知られていませんが、室町時代には芦屋も含九州の一部も大内氏の領土でした。大内氏は文化意識がとても高く、芦屋釜も手厚く庇護されていたのです。残念ながら芦屋釜は江戸初期に途絶えましたが、その復元に携わる職人として、私は大内氏との歴史的なご縁を形にしたかったのです。 

小笠原
こうした伝統工芸の世界では、異業種同士が一緒に仕事する機会はほとんどありません。最初にこのお話を聞いたときも、「うん?金属に塗るの?」と違和感がありました。でも、八木さんから熱意が伝わってきたんです。同じ職人として感じるものがあったんですね。「ああ、この人なら。私でよければやらせていただこう」って。 

八木
いえいえ、そんな。とんでもないです。 

私は歴史ある芦屋釜に携わる職人だからこそ、こうして世に出させていただいています。そのことを思うたびに、歴史というものの尊さを感じずにいられません。 

―芦屋釜には、どういう特徴があるのでしょう? 

芦屋釜は、茶の湯に使われる鉄の茶釜です。本体の厚みが約2ミリという非常に薄づくりであること、わずく。炭で製錬した砂鉄)を原料にしていること、などがその特徴です。国の重要文化財となっている9点の茶釜のうち、8点は芦屋釜が占めています。 

芦屋釜

芦屋釜(八木孝弘さん製作)

―八木さんは、どうして芦屋釜の職人になろうと思われたのですか? 

八木
もとも別の仕事をしていましたが、体調を崩してやめていました。そのころ、芦屋町が釜の復興プロジェクトを立ち上げ、将来の鋳物師を募集していることを偶然知り、手を挙げたのです。 

1997から修業に入りましたが、400年も途絶えていたため当然、技術伝承がされていません。釜師の方々に指導を受けたり、古作の芦屋釜を調査して技術を復元したりしがら16年間修業を続けました。芦屋釜は美術的にも技術的にも茶釜の最高峰であり、復元は難しいと言われるものです。そんな困難なことが私にできるのかと挫けそうになりました。実際、ひとつとして完成できない日々が何年も続きました。 

鋳物の場合は、0100点しかありません。90点、80点は存在しない。ほんの少しでもひびが入れば0点なのです。釜は1年間に10個できればいいほうです。 

人

製作中の八木さん(八木さん提供) 

職人に「もう、これでいい」はない 

小笠原
職人の世界はそういうものです。大内塗も、一人前になるまでに10年は掛かります。じゃあ、10年経ったからもうなにも学ぶものがないかといったら、そういうもんじゃない。私なんか75年間続けてきても、「こうすればもっと良くなるんじゃないか」「こんなふうに塗った方がきれいなんじゃないか」といった発見の連続です。「もう、これでいい」っていうことは、最後までないでしょうね。 

八木
そういうものなんですね、やっぱり。
小笠原さんからそういった言葉を聞くと、生涯をかけてひとつの世界を追求する職人という生き方を選んで良かったなと感じます。これが職人のあるべき姿だと。 

小笠原
手を省こうと思えば、いくらでも省けます。でも、よりいいものを作ろうと思うなら、手を掛けてしまう。しかし、そうすると儲かりません。手間暇掛けるほどに苦労するようになります。 

八木
私はそこをなんとか変えられないかと考えています。手間暇を掛けた分の対価がしっかり得られる社会を構築していかないと、伝統工芸はどんどんなくなっていきます。芦屋釜も、江戸時代最後の職人となったきっと断腸の思いだったはず。ずっと継承されてきたものが、自分の代で途切れるというのは堪らなかっただろうと。 

顔

小笠原
伝統工芸の職人を続けるためには、技術伝承に加えて、もうひとつ課題があります。それは道具です。道具が揃わなければ、いくら技術があってもどうしようもない。私の場合、いま筆の入手が難しくなってきています。かつては京都の有名な筆職人さんに作ってもらっていましたが、その方が亡くなられたので。ほかの筆の産地から仕入れていますが、やはり以前と同じというわけにはいきません。 

おじいちゃん

八木
確かにそうですね。
私は芦屋町から数は作らなくてもいいので、最高の一個つくる」ということを託されました。それとひとつ。「後継者の養成」も託されています。皆さんのおかげでなんとか形になってきた芦屋釜を、後世に引き継いでいくこと。この使命は果たさなければなりません。 

小笠原
私のところでは息子も一緒に製作していますが、彼も75歳です。その後は考えていません。「孫に継がせればいい。孫がだめなら、ひ孫に教えたらいい」と人はよく言いますが、そんな簡単なことじゃないんですよ、職人として生きるっていうは。 

八木
そうですよね。  

小笠原
私は95歳ですが、いまでも毎朝7時半から仕事をしています。ただ、同じ作業でも若いころの3倍の時間が掛るようになりました。目は見えにくくなる、気力だって衰えてきます。指先がきちっと安定して描ける時間も、3時間ほどです。 

それでも、40代や50代のころより、いまのほうがいい作品になっています。 

作業

八木
いやあ……、僕もそうありたいと思います。芦屋釜には先輩職人がいないので、小笠原さんのお話はとても励みになります。 

小笠原
やはり職人同士、通じ合うものがありますね。年齢は孫ほど離れていますが、一緒に仕事ができて私も嬉しいです。 

「特別な日」を味わう盃に

―熱のこもったお話、有難うございました。最後に、この酒器をどのように使っていただきたいと考えていますか? 

八木
結婚10周年は、錫婚式とも呼ばれます。そういう特別な日を祝ったり、「これからも10年仲良く」と誓いあったり。そんなときに、この酒器を傾けていただけると嬉しいですね。それこそ、夫婦円満を願った大内氏の思いでもあるでしょうから。 

小笠原
そして祝いの酒を酌み交わした後には、大内雛として末永く愛でていただきたいですね。 

人形

 

【大内人形】
室町時代~戦国時代にかけて、山口や九州の一部治めていた守護大名の大内氏。大内弘世京都から迎えた妻を慰めるために、都の人形師を多数呼び寄せて屋敷を飾ったのが大内人形の由来とされる。丸みを帯びた形と、常に男女一対であることから、夫婦円満の象徴として知られる。山口市内には現在、小笠原さんを始め、計5軒の製作工房がある。 

 

【芦屋釜】
福岡県芦屋町で作られていた茶の湯釜。その繊細で美しい姿から、茶の湯の世界で非常に愛されたが、大内氏の滅亡以降衰退し、途絶えた。町は約400年ぶりに芦屋釜を甦らせようと1995年に「芦屋釜の里」を整備。復興工房を設け、鋳物師の養成を開始した。養成期間16年。八木さんは、その1人目の修了生。 

 

*** 

 

「大内雛酒器」は、大内氏ゆかりの伝統工芸である大内塗と芦屋釜のコラボレーションの取り組みに感銘を受けた「地域商社やまぐち」が商品化に参画し、「やまぐち三ツ星セレクション」として発売!ご購入ご希望の方は以下までお問い合わせください。 

■大内雛酒器 購入お問合せ先 

地域商社やまぐち株式会社 

TEL|0120-414716(平日9:00-17:00) 

やまぐち三ツ星セレクション | jimotto(じもっと)

 

 

執筆時期:2021年2月
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