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2018/08/10 【山口】下関

【歴史探訪】「巌流島」篇:待たせたな、小次郎!

by 陣内 研治
タウン情報誌の編集部、寿司職人見習いなどを経て、現在はフリーランスのライターとして活動中。食や暮らしまわりの取材から地域活性化のお手伝いまで仕事の幅はさまざま。…

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関門海峡を舞台にした
2つの戦いの地を訪ねる


交通の要衝として、古くからさまざまな日本の歴史の舞台となってきた関門海峡。

ここは、日本人なら誰もが知っている2つの戦いが行われた場所としても有名です。今回の旅レポでは、今も語り継がれる伝説の闘いの地を訪ねて、歴史絵巻の中に入り込んでみたいと思います。

まず向かったのは、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われた巌流島。

実は訪れるまで、巌流島といえばある種、伝説的な場所のようなイメージで(ももたろうの鬼ヶ島みたいな)、まさか下関や門司港から1日に何本も定期便が出ている身近な島だとは知りませんでした。

今回は、下関側の唐戸桟橋からアプローチ。船乗り場はカモンワーフと海響館の中間あたりにあります。往復切符(大人800円、小人400円)を購入して、いざ巌流島へ出発です!


関門海峡はその立地の良さから、遣隋使の時代より海上交通の大動脈として重宝されてきた国際航路。最狭幅700m、全長27㎞とかなり狭くて入り組んだ海峡ながら、今も世界各国の船が1日約500隻も通るのだそうです。


出航してすぐに後ろを振り返ると、右手に門司、左手に下関、そして背後には海峡のシンボル・関門橋という大パノラマが広がります。この爽快なクルージングが楽しめるだけでも、巌流島に向かう価値があります。


そうこうしているうちに目指す巌流島が見えてきました。物語や映像では、小さな砂の島として描かれることが多いので、想像していたよりも緑豊かな島という印象です。


下関から約10分間のプチ船旅で巌流島に上陸!


島の北東部は遮るもののないオーシャンビュー。関門橋を挟んで、本州と九州の両岸がばっちり望めます。関門海峡の真ん中に浮かぶ巌流島ならではの雄大な眺めですね。


桟橋の近くにある巌流島文学碑には、画家・古舘充臣氏が描いた小次郎と武蔵の決闘の場面が焼き付けられています。


文学碑からほど近い木立の奥に、ひっそりと佐々木巌流之碑が建っています。碑文には「船島開鑿(かいさく)工事成功之際建立」の文字。

そう、巌流島の正式な名称は「船島(ふなしま)」。

なんでも、決闘が行われた当時の巌流島の面積は現在の1/6しかなく、島の形が船に似ていたことから、その名前が付けられたのだそう。それが明治から大正にかけて埋め立て工事が行われ、現在のような姿に。いまの呼び名は、敗者・小次郎を想った地元の人々が、小次郎の流派をとって「巌流島」と呼ぶようになったのだそうです。

現在、巌流島は無人島ですが、昭和40年代までは人が住んでいました。ちなみに、いつの頃からか島にはタヌキが住みついているんだとか。タヌキは「他を抜く」とも言われる縁起がよい動物。島を訪れた際はぜひ探してみてください。


巌流島にはなんとバーベキューサイトもあります。
下関市役所に事前申請をすれば、誰でも雄大な景色を眺めながらバーベキューを楽しむことができます。

「巌流島でバーベキューしてきたよ」と言うと、ものすごくワイルドな体験をしたような響きに聞こえそう。

決闘の聖地・巌流島なだけに、銘柄牛として知られる「山口県産無角和牛VS小倉牛」や、下関が誇る水揚げ日本一の魚「ふくVSあんこう」など、どちらがおいしいか対決させながら味わうのもいいですね。


散策道沿いにある東屋でちょっとひと休み。涼風を感じながら対岸の景色や行き交う船をのんびり眺める時間は、また格別です。


松林を抜けると、小高い丘の上に武蔵・小次郎像が見えてきました。
遠目から見ても躍動感があって、迫力があります。

巌流島を象徴するスポットを紹介する前に、改めて巌流島の決闘をおさらい。

ときは慶長17(1612)年。当時、小倉城下に道場を開き、高名だった佐々木小次郎に、諸国修行中の宮本武蔵が決闘を申し込みました。
約束は辰の刻(午前8時 )でしたが、武蔵は大幅に遅れ着いたのは巳の刻(午前10時)。遅参に怒った小次郎が刀を振り抜いたのですが、武蔵はそれを紙一重でかわし長い木刀で小次郎の頭を打ち砕いた…。
(武蔵と小次郎の決闘については諸説あります)


関門海峡を見渡す、島の特等席に武蔵・小次郎像は設置されています。

おもしろいのが、武蔵像と小次郎像の完成時期が違うこと。小次郎像が2002年12月に除幕されたのに対し、武蔵像が除幕されたのは2003年4月。武蔵像の完成が遅れたのは、決闘に遅参したという説に合わせたんでしょうか。

さて今回、巌流島で食べたいと思っていた甘味を持参していました。
それがこちら。


じゃーん。下関銘菓「巌流焼(162円)」!
地元の老舗菓子店「巌流本舗」が作るどら焼きで、
北海道産いんげん豆をじっくり練り上げた白餡が入っています。


白餡は豆をあえて粗く潰すことで、食感のアクセントにしています。
卵をたっぷり使った生地もリッチな風味です。
また、巌流本舗は「おそいぞ武蔵(151円)」という黒餡のどら焼きも販売しています。


武蔵・小次郎像の近くには、武蔵が巌流島に渡った際の小舟も再現されています。

巌流島を訪れたなら、ぜひとも巌流島上陸認定書を手に入れてみてください。


関門汽船発券所の窓口で申し込んで住所などを記入すれば、
後日、自宅に郵送されます(郵便料込み100円)。

◾巌流島
山口県下関市大字彦島字船島648
〈下関市公式観光サイト〉
https://shimonoseki.travel/index.php

海峡を臨む神宮で
悲劇の幼帝を偲ぶ

関門海峡を舞台とした有名な戦いといえば、そう、寿永4(1185)年に行われた源平合戦。それまでの貴族社会から武家社会へと転換することとなった、日本の歴史の転換点ですね。

下関の唐戸から、源平合戦に所縁の深い「赤間神宮」は目と鼻の先。せっかくなのでこちらまで足をのばしてみましょう。


赤間神宮の祭神は安徳天皇。平清盛の政権争いの影響を受け、1歳にして天皇に即位し、そしてわずか6歳のときに壇ノ浦の戦いで入水した悲劇のエンペラーです。

壇ノ浦の戦いで平氏が追い詰められた際、祖母である二位尼 に抱きかかえなられながら、「波の下にも都があります」と慰められ、飛び込んだという逸話は、時代を超えて胸を打ちます。

ちなみに、この二位尼は現在の山口にも所縁の深い人物。美しいビーチで知られる長門の二位ノ浜は、二位尼の亡骸が流れ着いた場所だと伝わっています。

赤間神宮のシンボルといえるのが、こちらの水天門です。
白壁と鮮やかな朱塗の組み合わせで、まるで竜宮城のような絢爛さです。
夜にはライトアップされ、闇夜に浮かび上がる姿もまた幻想的。


関門海峡に面して建っているので、海峡の様子もよく見えます。
つい写真が撮りたくなるビュースポットですね。


境内には平家一門の墓や、貴重な資料が収められた宝物殿などがあります。
そしてこちらは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談で有名な
耳なし芳一の木像が祀られている芳一堂です。


赤間神宮を出て壇ノ浦古戦場跡まで歩いていると、
ボランティアの方が耳なし芳一の紙芝居を読んでいました。
手練れの読み手で、思わず立ち止まって聞き入ってしまうほど。
きっと、合戦の舞台となった海峡を背に何百、何千と読み聞かせしてきたのでしょう。
下関が舞台になった歴史を多くの人に伝えていきたい。
そんな地元の人たちの想いに触れたような気がしました。

◼赤間神宮
山口県下関市阿弥陀寺町
083-231-4138
〈公式サイト〉
http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/

執筆時期:2018年8月
※本記事の情報は執筆時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。
最新の情報は直接各スポットへお問い合わせください。
また、本記事に記載されている写真や本文の無断転載・無断使用を禁止いたします。

取材・文:陣内 研治
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Spot Information

巌流島

住所 山口県下関市大字彦島字船島648
TEL 083-231-1838

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